披露宴イメージ

厳粛な和風結婚式と披露宴

私たち夫婦の結婚式は神前式でした。
教会式にあこがれはあったもののやはり「三三九度を行いたい」という気持ちもあって結婚式場内にある神前式場で行なうことにした。
かつら合わせをしたとき、映った自分の姿に不思議な気がした。
昔写真で見た両親の結婚式の母の花嫁姿によく似ていたからである。
こうやって親も嫁いでいったなあとしみじみ思った。
両親も神前式だった。
親と同じ形式の式を行うのも悪くはないと思った。
あれこれと忙しい結婚準備を経ていよいよ式当日を迎えた。
色々と支度をしてる最中にご招待させていただいた方々が次々とやってくる。
今まで他人だった両家の縁戚が私たちの結婚によって他人ではなくなる。
それぞれの職場や友人たちもこの結婚式がなければ顔を合わすこともない人たちである。
色々な人のご縁に支えられていることを実感する。
花嫁衣装に身を包む時がやってきた。
和装用肌着、下に着る白い着物を着た後で重たい重たい白無垢の打掛を着させてもらう。
この重さに結婚というものの重さを感じる。
支度をしてくれた美容師さんは「重いでしょ、動きにくいでしょ。結婚式は大変なものなのよ。これに懲りて結婚は一度やれば十分と思い知らさす為の花嫁衣裳なのよ」と半ば冗談で言ってくれた。
でも確かにそのとおりである。
結婚式は華やかで女性にとってはあこがれの日だが、あの大変さを思い出すと結婚は一度で十分、本当にそう思う。
そして、結婚式の日の後からが長くていろいろあるものなのだ。
やがて式が行われる御神前へと向かう。
その時に介添えの人からの一言「新郎様が先にお歩きになるので新婦さまは後についてきてくださいね」と。
今の女性たちには不服に思えるかもしれない一言だけれども、夫の後についていく妻というのは中々いいものである。
夫の後ろを歩いた時、夫がとても頼もしく見えた。
そして今も一家の大切なことを最終的に決断するのは夫である。
結婚式の妻の前を歩く瞬間から夫には一家の大黒柱としての意識が芽生え、夫の後ろを歩く妻は夫をたてるという意識が芽生えるのかもしれない。
日本の妻たちは表面上は夫に従い夫を立てていた。
けれども内実は妻がしっかりと主導権を握り、夫を自分の思惑通りに動かしている場合も大きい。
夫には気づかれずに。
実は私の母もそうだった。
私は中々その域には達しない。
けれども、そういう夫婦関係でうまくいっているケースも過去に結構あったと思う。
そのスタートがこの日本式の結婚式であると思う。
神前でめでたく三三九度をあげた後、披露宴会場に向かう。
この間に、白無垢から色打掛に着替える。
実はこの色打掛が中々の好評だった。
普段の私はスタイルはさほど良くなく、決して美人とは言えない顔立ちをしている。
だが、この日は「きれい」と沢山言ってもらえた。
もちろんその時の私の立場に対していってくれているのは重々承知だが、花嫁衣裳は女を数段美しく見せてくれるものらしい。
後日この結婚式の写真を見た人々が和装の私が意外とイケていることに驚いたらしい。
中にはこの花嫁が私であることに気が付かなかった人もいた。
この純日本的花嫁衣装で私は相当「化けていた」のである。
後のお色直しで着たドレスの写真よりも色打掛姿の方がかなりの好評だった。
それまで気が付かなかったが私は「和風になること」で多少は美人度が上がるタイプだったようである。
近年教会式やカジュアル式の急増で和装の花嫁は減ったとも聞いている。
だが、日本人であるならば和装が洋装よりも美人度が高くなる確率はかなり高いとも思う。
これから花嫁になる人々には写真だけでもいいから和装の花嫁になってみたらどうだろうか、とも思う。
やたらと重い花嫁衣裳、夫の後を妻がついていく、そんなスタイルの式は、あこがれのウエディングドレスを着て、素敵な教会で式を挙げ、夫と横並び妻が歩くのが常識的な最近のカップルたちにとっては、あまり受けがよくないのかもしれない。
人間関係が希薄な現代では親戚や関係者友人を招く結婚式、披露宴は行われにくいかもしれない。
けれども、古臭くて、前近代的な夫婦関係の象徴みたいな結婚式の中にもいいところもたくさんある。
こうしてもう十数年前にあった私たち夫婦の結婚式を思い出してふとそんなことを思った。
とりあえず私たち夫婦は喧嘩しながら、言いたいことを言いながら、そしてお互いに少しずつ譲り合って(夫の方がかなり譲っているかもしれない)、それなりの人生の波を一緒にかぶりつついまだに夫婦を続けている。

Copyright(C) 2013 ひろうえん.com All Rights Reserved.